体験談

体験談は今後追加していきますが、現在下記に掲載している体験はあくまでも一例です。

精神疾患のある当事者のかたの症状や思考、行動はさまざまで、子どもの体験もそれぞれ違います。

ただ、苦しい想いで生きてきた事は共通しています。


"まりこさん"(40代女性)の体験談をご紹介します。

私の父は重度のうつ病です。父は学校の先生でしたが私が中学2年生の頃、一度入院してから働くことができなくなり、一日中家でぼんやりと寝たり起きたりして過ごすようになりました。父の病気が悪くなると同時に始まったのは酷い被害妄想でした。その頃は同じく教師だった母の稼ぎだけで両親と弟、私の家族四人で暮らしていましたが、私がちょっと何かを頼んだり上の空で返事をしたりすると『あいつは俺を召使だと思っている』と怒り、母に言いつけました。母親は物心ついた頃から酷いヒステリーで、私は小さな頃から常に怒鳴られ、頬が赤く腫れるほどひっぱたかれ、頭を殴られ、血が滲むほど両腕に爪を食い込ませて体を揺すられたりして育ちました。今考えれば母親も精神障害を患っていたのだと思います。親と無邪気に楽しく笑いあったり、褒められた記憶はほぼありません。子供の私はそれでも親が好きだったので、なんとかして“愛されたい”と願い、常に母親の機嫌を伺い、怒られないようにビクビクと怯えながら生活をしていました。高校に入ると両親は私を悪者にすれば夫婦仲が良くなることに気がつき、常に2人で『お前が悪い、お前がダメだからだ』と私を責めるようになりました。泣きながら部屋に逃げ帰ると、居間から楽しそうな夫婦の笑い声が聞こえてきた事も何度もあります。私は自分が存在する意味がわからず、そのうち過食症になりました。毎日食べ物を買い、大量に食べては吐く事を繰り返しました。どうしても我慢できず、授業中先生が黒板を向いている隙にお菓子を口に放り込んだ時もあります。それでも自分が異常だとは感じず、とにかく限界まで“食べなければ”と毎日必死で考えていました。食べている時だけ心が安らぎ、苦しみを忘れる事ができたからです。母はいつも自分が一番美しくなければ嫌な人だったので、年頃の私が過食症になり醜く太った事は知っていましたが、気がつかないフリをしていてむしろ嬉しいようでした。私は死にたいと思うようになり、大学に合格すると逃げるように家を出ました。一人暮らしをして初めて心が安らぎましたが、過食症はそれからも長い間続きました。数年後、社会に出ると母親から『先の事を考えてお金を貯金しなさい』と電話が入りました。“心配してくれているのかも”と思った私は言われるままに毎月のお給料から少しづつ、母親の作った口座にお金を振り込みますが、気がつくと懸命にためた100万円を母親に全部使い込まれていました。弟もお金を何度も無心され、今も300万円ほどのお金を両親に貸していますが、「返す」と何度も言いながら年に数回旅行に行ったりと相変わらず返す気配はありません。

私は現在結婚し、子供も一人生まれましたが両親とは ほぼ絶縁しています。私にも躁鬱の気がありますが、絶対にあんな親にだけはならないと心に決めて子育てをしています。理解ある夫と可愛い息子に恵まれ、今はとても幸せです。数年前にコンボの「家族学習会」に参加させてもらい、同じような体験を持つ方のお話を聞き、そして自分で語る事で少しだけ心が癒された気がしています。

(2018年1月)


"プルメリアさん" (50代 女性)の体験談をご紹介します。


私の母は75才で、妄想型の統合失調症です。

母が発症したのは私が2~3才の頃で、数か月程入院したそうですが、退院後は未治療でした。

家事ができなくなるような症状はなく、(被害妄想がある為)人付き合いはできないという症状が主だったように思います。

今になって考えると、私との会話がちゃんと成立していないというのも立派な症状だったのかもしれませんが、物心ついた時からそういう母でしたので、それが病気の症状だとは気づきませんでした。

私は一人っ子で、私が低学年の頃に父が家を出ていき、その後離婚しました。

小学生の頃は、母の(妄想による)人の悪口を毎日のように聞かされました。

高学年になると友達と映画を見に行きたい。という私に対して「ダメ」の一点張りでした。私は納得できず「どうして?」と聞くと、ヒステリックになって「行く必要なんて無い!」と理不尽に怒鳴られ、たたかれました。

父の仕送りがあったので貧乏だと感じるような事はありませんでしたが、必要なものは一番安い物しか買ってもらえず、遊びに行きたいと言えば「ダメ!」。という母との生活は精神的にキツかったです。(ここだけ読むと本人が知らないだけで貧乏だったからじゃないか。と思うかもしれませんが、ちょっと違うと思います。)

高校に入ってアルバイトをしようと思いましたが、反対されましたし、進学は許されなかったので、高卒で働いていた為、成人式の頃には自分で自由になるお金を持っていましたが、成人式用の着物を自分でレンタルしようと思って母に話したら猛反対され、あきらめました。

大人になって母は病気ではないかと気づき、保健所に相談に行きましたが、「ここは頼れる場所ではない。」という事を学んだだけでした。

結婚して家を出ても、子育てをしながらずっと働きました。母を養う為です。

出産・育児の時に親はあてになりませんでしたが、育児雑誌や保育園のおかげでどうにか育てられました。

子育てもやっとひと段落した時、母が病気になりました。病院に行こうと説得しても、「寝ていれば治る、病院なんて行く必要がない。」と言うので、病院に行く事を説得するのに3時間ほどかかりました。

(精神の)病気の為に現実逃避してしまい、「自分は病気ではない。」と、手術を拒否しますので、いつまで生きられるかはわかりませんが、今は老人ホームで穏やかな日々を送っています。やっと私の肩の荷がおりました。とても長いみちのりでした。

(2017年11月)


”芝生さん” (20代 女性)の体験談をご紹介します


私の母は「統合失調症」と「双極性障害」の診断を受けています。私が幼い頃に発症しました。小学校2年生の頃、母が叫びながら一晩中裸で暴れ、とても怖かった記憶が残っています。

診断を受けてからも母は、自分は病気じゃないと思っていたため、薬を飲まなくなって悪くなり、飲んで落ち着いての繰り返しでした。

子供の頃の私は母の病気を理解できず、周囲から家も汚く“ゴミ屋敷みたい”と言われたり、ご飯が作れなくなったり、近所の人を悪く言うのを延々と聞かされたり、友達と遊ばせてくれなかったり…「なんでうちのお母さんはこうなんだろう」と友達のお母さんと比べ、家が大嫌いになっていました。父も毎日お酒を飲んで酔っていたため頼りにならず、私は誰を何を頼りにしたら良いのか分からなかったです。当時は本当に家にも帰りたくなくて、誰も信用できないと思っていました。

親に甘えたり相談したりすることが出来なかった為か、頼ることが苦手で、精神的にも金銭的にもどう甘えて良いのか分からず、自分で生計をたてて生活し学校へ行きました。そのまま頼り方が分からないまま大人になり、困ったときもどうやって誰に相談すれば良いのか、未だに悩みます。

母の気持ちの波に私も一緒に揺られて、母が落ち込んでると、話を聞きながら私も落ち込んで泣いていました。

その後、精神疾患への興味から看護学校に入学し、そこで色々な制度があることや家族会の存在などを初めて知りました。

そして家族会に行くようになり、同じ仲間の存在を知り、その存在の心強さを知りました。母のことを相談でき、自分の気持ちを素直に言える場所となりました。気持ちを言ったり整理していくことで、今までがむしゃらにやってきた自分を、大変だった、頑張ったと少しずつ認めることが出来るようになり、少し気持ちが楽になったような気がします。

病気についても勉強したことで、今までは“お母さんなのに ”と思っていた気持ちを“ これは病気だからしょうがない”と、自分の中で消化することができるようになってきたと思います。

今では母の"病気"に感謝している部分もあります。母の"病気"のおかげで、今の私がいるからです。

(2017年6月)


"なのはなさん" (30代 女性)の体験談をご紹介します


 私の母は統合失調症と思われます。なぜ断言できないかというと、病院に行ってくれないからです。

 母は若いころ自殺未遂をして、厳格な祖父に強制的に精神病院に入院させられたそうです。その時よっぽどいやな思いをしたのか、以降は未受診の状態です。

 母は被害妄想が激しいのと、ものごとの受け止めかたが偏ってはいるものの、妄想にとらわれながらも、普通の母親と同じように私たちの世話をしてくれました。私が子どものころも、家の中は掃除がされていたし、食事のしたくや洗濯もしてくれていました。

 しかし盗聴されているといって電話を解約したり、留守中に家に人が入っているといって鍵を増設し、自分だけが鍵を所持したりと問題行動もありました。まわりからも変な家と認識されていました。

 私が小学校高学年のころ、母が父親の浮気を疑いだしました。何人かの人を疑い、その後私が初潮をむかえると、ターゲットは私となりました。

 最初は何をいっているのかよく分かりませんでしたが、「そんな事してない」と言っても言っても信じてもらえませんでした。

 いつも妄想に浸っているわけではなく、普通の親子らしい会話もありましたが、妄想のスイッチが入るともう止まりません。人を悪者あつかいし、自分は悲劇のヒロインです。こちらが何をいっても無駄で、一方的に責められました。私はそのスイッチがいつ入るかとおびえ、いつも母の顔色ばかりをうかがっていました。

 母に疑われていることなどは、内容がえげつないので、まわりの大人などにとても相談ができませんでした。その環境で生きていくより他はないと思っていました。夜に布団の中で声を出さずに泣きました。泣くことしかできませんでした。

 母は祖父だけを、世の中で唯一信用していましたが、母が変な事をいうと「根性が曲がっているからだ」といって、母をひっぱたいたそうです。戦争を体験した世代では、そうなってしまうものかもしれません。

 母の事を相談してきた父に対しても、祖父は間違ったことを言ったら、たたいて下さいと言ったそうです。控えめで優しい父でしたが、母と喧嘩になると、母に暴力をふるいました。

 殴る蹴るの時間が長かったので、それは単に疑われたことへの怒りを発散させていただけに思います。その後、兄との関係も疑われるようになりましたが、兄も同様に怒って母に暴力をふるいました。私はいやな気持ちを自分の中にため込んで、そのぶん自分を嫌いになりました。消えてしまいたいと思いました。

 母の立場にたってみると「妄想」ではなく、あたまの中のことが「事実」です。それでいて私たちの世話をしてくれたり、ましてや暴力をふるわれたりしている姿をみると、誰かひとりくらい理解をしてあげられる人がいないとかわいそうだと思いました。

 離婚後に父は再婚し、兄は結婚をしてそれぞれ家庭を持っています。私は家を出て、自由を得ましたが、今も母にいろいろと疑われています。

 昨年、精神障害をもつ親に育てられた子どもの立場の人を対象とした学習会に参加し、なかまを得ました。私だけじゃないんだ、どこかで今も同じようにがんばっている人がいるんだ、とその存在を思いおこすだけで、とても心が強くなれます。

(2017年2月)